肌の馴染んだ女と同様のあの纏わりつく感覚を覚えることもなく、普段の彼はまるで長年苦楽を共にしてきた友人のようにさらりとしていて明るく、側にいるのが当たり前のように不思議と馴染んだ。
感情表現の薄い自分と違い、年の割にたわいもない事によく驚き、喜び、憤る姿が目に新しかったのもある。
よくも悪くも素直なのだ。
その素直さは行為の最中の反応の良さにも表れる。
見つめれば見つめ返す。
言葉を投げれば応える。
触れれば応えて受け入れる。
思えばそんな当たり前の反応が、何故か自分にはとても好ましいものに思えた。
逃げ回るスペースのない個室で立ったまま性急に繋がると、青年は体勢がつらいのか、ためらいなく首に腕を廻してしがみついてきた。
縋り付くようにも見える左腕の内側の柔らかい肌を吸って跡をつける行為を何度も繰り返すと、青年はぶるりと震えて左腕を下ろしてしまう。
「存外可愛いな、ヘルマン。」
そこは苦手なのだ、と暗に示す行動を揶揄する。
面白いように反応を返す体は躊躇という言葉を知らない。
「野郎に可愛いとか…アンタ、頭おかしい…んじゃないのか。」
慣れる隙も与えられず絶え間なく擦り上げられる内部の刺激に耐えるのが精一杯なのか、青年は荒い息で漏らす。
「そうなんだから仕方ないだろう?」
己の与える動きで絶えず揺らぐ瞳を見つめながら耳元で低く囁くと、即座に頬を染めた青年に憎まれ口を叩かれた。
「…ばっかじゃねぇの……」
吐き出す様にうわずった声を上げる青年の柔らかい肉壁を更に掻き回す。
廻して突いて擦り上げる。
その度に漏れる声が切なげに後を引く。
特に弱いとわかっている場所に何度も己を押し付けると、青年は一層強くしがみついて名を呼び上げる。
次第に高くなる声は薄いタイル張りの個室に反響し、己の欲情を一層駆り立てた。
「…声、外に漏れるぞ」
返事を期待し、ゆるゆると責め上げる。
青年は反射的に口を開いて漏らそうとした言葉を飲み込み、ゴツリとタイルに後頭部を当てながら泣きそうな声でうなりを上げた。
「………だったら塞げよ!」
声なく笑いながら求めに応じて舌を絡める。
息衝く間を惜しむように何度も食んでは離すを繰り返すと、それでも吐息の合間から漏れる声を恐れてか、青年が伸ばした後ろ手でシャワーのバルブを強く捻った。
不意に勢いよく肌を打つ暖かい雨。
肌を打つそれらも、すすり上げるような声も、絡みついて離さない青年の中も、そのどれもが堪らなく心地いい。
時折思う。
この関係は何なのか?
互いの気持ちなど確かめたことはない。
いわば、これはなりゆきの行為だ。
手を出してみたら、拒否されなかった、ただそれだけのことだ。
「…もう嫌だ……」
何度も揺すり上げられ、焦らされた腰がカクリと落ちる。
尻を掴んでそれを留めながら尚も壁に縫い止めて奥まで押し込むと、青年が一層高い声をあげる。
「ヘルマン…」
目を閉じて快楽に必死に耐える目元から生理的な涙が溢れ落ちる。
自ら絡めた腕を解いて相手の両の肩口を押しやると、青年が顔を背けて苦しげに呟く。
「おかしくなっちまう…」
「なればいいさ」
「嫌だ……!」
極まる度に嫌だ嫌だと口先だけで拒絶する彼の言葉は聞かない事にしている。
突き上げる度に絡めとり、名残惜しそうに絡み付いてくる彼の内部の方がよほど従順だからだ。
結局の所、男としての性衝動に明確な理由等必要ない。
だからこんな関係でも続けていける。
「こっちを見るんだ」
不意に思い立って腰の動きを止め、わざと耳に口づけながら低い声で囁く。
「イヤ…だ……」
震える声で拒絶する青年の耳朶を何度も甘噛みながら、合間に何度も名を読んで呼んで促す。
「ヘルマン」
「……」
「……」
「……」
漸く諦めたのか、ノロノロと頭を上げた青年と目が合った。
欲情に緩んでいる筈の瞳が、透明なガラス玉のようにまっすぐ自分に向けられる。
その、澄んだ紫に、口の端を歪めて笑う男の顔が映る。
「……」
まるで、情事の最中とは思えない程、切羽詰まった泣きそうに酷い顔の自分に笑いがこみ上げた。
「……ゲルト?」
地位も名声も金もあり、女ですら、すぐ手に入る。
そんな自分が何て顔で男を責めているのか。
…まさかこの繋がりに何かを求めているというのか?
不意に己を悩ませる問いが頭をもたげる。
何がしたいか?
何が欲しいか?
誰に伝えたいか?
それは己の生き方に対する問いそのものだ。
頂点に上り詰め、欲しいものは何でも揃って、その次は?
何度も繰り返されるその問いへの答えはいつのまにか忘却の彼方へ霧散してしまって、今は形を成さない。
一体いつから何を掛け違ってしまったのか…。
「……欲しいからしてるんだ、俺は。」
不意に酷い枯渇感に襲われ、青年の首元に顔を埋めてくぐもったつぶやきを漏らす。
何が、とか、何を、という言葉はやはり浮かばない。
ただ、満たされない何かが、とても欲しかった。
「……」
「欲しいんだ。」
主語の欠けた言葉は青年にとって何の意味も成さないだろう。
何度も呪文のように繰り返す言葉はただ虚しく、肌に刺さる水音に掻き消されていく。
「訳わかんねぇこと、連呼すんな…」
「ヘルマン…」
預けた片足を相手の腰に巻き付けながら、青年が再び首へ腕をまわしてしがみついてくる。
そのままらしくない触れるだけのキスを唇へ返し、喉元に額を擦り付ける。
「いいから早く出しちまえ、バカ野郎…」
ちかちかと切れかけた電灯の点滅が霞のかかった視界の先にぼんやりと映り込む。
肌が痺れる程に打ち付ける熱いシャワーの雨とむせ返るような白い湯気の中、時折泣き出しそうな声はもはや相手の名さえ紡ぐ事が出来ない。
遠慮なく立てられた爪に傷つけられた肩口に湯が染み入ることすら、気持ちのよいものに思えてくるから不思議だ。
そして自ら片足を絡ませ、あられもない格好で股を開き、己に縋り付く青年の姿は喩えようもない淫らな光景だった。
「…なぁ……」
絶え絶えの様相で肩に額を預けた青年の耳元で囁く。
「………誰かに見せつけたい位、ひどい格好だな」
自嘲めいた含み笑いを含んだその言葉を聞いているのか聞いていないのか、青年は己に訪れているさざ波のような快楽の海の中で弱々しく首を揺らすだけで、何も答えをくれない。
世界から隔絶されたような白いもやの中、高みに追い立てる動きと互いに交わす急いた息づかいだけが彩りを添える。
やがて訪れる絶頂の中で、ゲルトは再び自分に問いかける。
手に入れたもの。
手に入れたいもの。
手に入らないもの。
捉えどころのない水の乾きに限りなく近いそれら。
…欲しいものなど、本当はもう幾ばくもない筈なのに。
なのに、リアルに喉がひりつくほど渇く、その正体がわからない。
預けられた青年の頭部を覆う、しとどに濡れて深みを帯びた赤い髪を首元から掻き上げる。
暖められたそれらをかき寄せるようにして唇を押しつけると、ゲルトは何かを祈るように固く目を閉じた。
「今日こそはOK出してくれよ」
ペーパーバックの端を一枚ずつ丁寧にめくりながら眺める自分に男がしびれを切らした様にそう言う。
チームの広報活動の一環を兼ねた外回りに出たはいいが、金を出し渋るスポンサーと、情報を取りたがるメーカーの間をいったりきたりが続き、既に滞在は一週間を超そうとしている。
[183] ヘタレ班長 (2008/09/15 Mon 08:05)