「その真っすぐな性格を生かすんだ。」
実はあんまり耳に入っていなかった。
「道を見つけろヘルマン。」
でももう俺はレーサーとして生きられないんだろう?
ゴツッと、鈍い落下音だけが響いた。
新しくなった愛機を駆り立て、路を走る。
土産に、あいつが好きだと言っていた冷えた日本製の缶ビール6本パックと、ピスタチオ。
大通り左手に見える少し古いアパートの下に、バイクを止め、階段に急いだ。
チャイムを一度鳴らすと、奥からしゃがれた声で開いてると聞こえた。
少し重い扉を開けて、暗くなっている室内の奥に、TVの声だけが聞こえる、ぼうっと光る部屋をみた。
「生きてるか?」
覗き込めば、一人掛けのソファーに、背を丸めて見ているのかわからない、通販番組を見つめていた。
視線と声に気付き、けだるそうにこちらを睨み返してきた。
「…生きてるようにみえるか?」
「息ならしてるだろう。」
「あんたでも冗談言えるんだな。」
ゆっくりと立ち上がり、横に立つ彼。
「…何しに来たんだ?もうレーサー止めた俺とは、関係ないだろう?」
鋭い視線で、動物のようにわかりやすい威嚇。
肩に乗せられた腕を払いのけ、台所に向かう。
「冷蔵庫借りる。」
小さめの白い冷蔵庫。
中には、食べ物らしいものが見当たらなかった。
土産を袋から取り出し、詰めた。
食べ物をもっと、買ってきてやるんだった。
「なぁゲルト、来てくれたのは嬉しいけどよ、今日は帰ってくれよ。」
「お前が好きだって言ってたあの日本のビールだ、後で飲むといい。ピスタチオも…」
「帰れって言ってんだろ!!」
チャイムが聞こえた。
あの日から、ピザの配達以外に誰もこなくなった家にだ。
開いてるとだけ叫んで、また、光るだけのブラウン管を眺めながら、冷えたピザに手を伸ばした。
ガチャと扉が開く音。
この足跡は、…ゲルトか。
「生きてるか?」
生きる屍ってこういうの言うんだろ?
「生きてるように見えるか?」
「息ならしてるだろう。」
「あんたでも冗談言えるんだな。」
立ち上がり、ゲルトの横に立った。
あんなに近くにいたのに、今はたまの中継でしか見られない白い風。
少し訝しげな顔をしたが、またあの笑みを浮かべた。
「…何しに来たんだ?もうレーサー止めた俺とは、関係ないだろ?」
肩にかけた腕は、払いのけられた。
「冷蔵庫借りる。」
台所に向かうゲルト。
気遣いが、さらに気を落とす。
「なぁゲルト、来てくれたのは嬉しいけどよ、今日は帰ってくれよ。」
このままじゃ、言っちゃいけねぇ事いっちまう。
「お前が好きだって言ってたあの日本のビールだ、後で飲むといい。ピスタチオも…」
優しくしないでくれよ。
「帰れって言ってんだろ!!」
しゃがみ込んでいたゲルトに、無我夢中で飛び付いた。
拍子にぶつかった冷蔵庫がガダガタと揺れている。
馬乗りになり、胸元を乱暴に掴んだ。
「あんた、楽しいのか?」
「なんの事だ。」
「俺はなぁ、あんたのせいで…!!!」
あんたは、俺に抜かされるのが怖かったんじゃないのか。
だからあの日…!
「いいたい事があるなら、早く言え。」
視線は動かない。
王者たるに相応しい目付きだった。
自分は、ただの睨まれたカエルだ…
ゲルトが、俺なんかいようがいなかろうが、先頭を走る事は、間違いないんだ。
「……、なんでもねぇよ。」
すまねぇといいながら、体を退けた。
ゲルトも体を起こし、ジャケットをはたいていた。
「本当に言わないのか。」
「恥ずかしくていえねぇよ。」
視線は、反らすしかなかった。
ひとしきり黙り込めば、耐え切れなくなったのか、ゲルトが口を開いた。
「呑まないか?あのビールの味が気になる。」
「あ、あぁ…。旨いぜ?」
「たまには、こうしてお前と飲むのも悪くないと思ってな。」
今日はそれだけだと、最後に付け足した。
明日、二日酔いがひどくなければ、外に出て、バイクのメンテでもしようかと思
えた。
[153] ユーハイム (2008/09/12 Fri 12:22)